すきなひとには、きちんと「すきだ」といおう。

そうしないと、きもちはつたわらないから。
おもいがとどかないと、いつしかはなれてしまうから。


原田知世さんが、入籍・結婚した。http://haradatomoyo.com/info/


知世さんはデビュー当時、毎年誕生日(11月28日)にバースデイ・アルバムを発表していた。


1985年11月28日だったと思う。体調を崩して家でぐったりしていたぼくは、はたと立ち上がり18歳の知世さんのバースデイ・アルバム『パヴァーヌ』を買いに行った。いまamazonで探したけれど、見つからなかった。きっと廃盤になってしまったのだろう。
知世さんには、デビューから「時をかける少女」などのポニー・キャニオン時代、たった1年だけ在籍しただけで音源もわずかしか残っていないのにベスト盤が濫発されている東芝EMI時代、シンガーとしてのキャリアを確立したCBSソニー時代、そして鈴木慶一トーレ・ヨハンソンといった職人を従えてアーティストとして華開いたフォーライフ時代など、レコード会社で区切っても特徴があり語り出せばキリがない。


それよりも1985年11月28日だ。
なぜ、その日を鮮明に覚えているかと云えば、この日からぼくは日記を付け始めたからだ。もちろん内容は知世さんのアルバムの話だったと思う。スヌーピーのスパイラル・ノート。
あれから20年弱、ぼくは日記を付け続けている。
1990年か91年か、そのあたりははっきりとしないが、「他人に見せる日記」と「誰にも見せない日記」をはっきりと区別するようになった。それが日記雑誌『a.b.c.』へと繋がり、インターネットでの日記サイトに発展した。
そして、いまでも、こうしたブログで日記を綴り続けている。
ノートに手書きで付けていた10代の頃の日記は、おそらく段ボールに詰められて押し入れに眠っているはずだ。いまさらそれを引っ張り出して読み返そうとは思わないけれど、あのころはひたすらに前向きで、ただがむしゃらに走り続けていたような気がする。
いまでも知世さんのアルバムは聴いている。主にスェーディッシュ・ポップ然としたここ10年の作品がほとんどだけれど--それでも10年か--。
いま、ちょうど手元にあった『ポシェット』を聴いている。ちょうど昨日「前略プロフィールhttp://pr2.cgiboy.com/S/2449379」を書いていて、「はじめて買ったCDは?」という項目に、このCDを挙げたところだったのだ。
知世さんの声はやさしい。やわらかく包み込まれるような、温かみのある肌触りを持っている。
近年のポップな曲調でも、決して声を張り上げるわけではなく、メロディをそっと撫でるような歌い方だった。この『ポシェット』には1983年と84年に東芝EMIに残した音源が収録されている。あのころは、ほんとうにイメージ通りのあたたかい歌声だった。
デビュー曲「悲しいくらいほんとの話」が1982年、そして「時をかける少女」が翌83年。
さすがに20年もファンを続けているアイドルは他にはいない。

心から「おめでとうございます」と云いたい。末永くお倖せに。

知世さんのこと、さらには日本短髪振興会(J.S.P.)のこと、書くことがぼくにはたくさんある。