いちばん「日記家」だったころ(1)

ちょっと思うところあって、探し物をしていた。
予想できるところをあたってみたが、断片さえ現れない。
もしかしたらと目に留まったのが、大型の書類ケースのつもりでつかっている収納ケースである。
一般家庭だと靴下とかしまっておくような、そんな感じの。


探していたのは写真なんだけれど、大量のネガとポケットアルバムが収められた一段があった。果たしてぱらりとめくったそこには、ちょっと見たくない写真が挟まっていた。
そのまえにもアルバム30冊くらい漁ったけれど、肝心の写真はまったく出てこなくて、そんな「忘れていたはずの」ポートレイトばかり見るハメに陥ったりもした。
まあ、さらに「忘れていた」けれど「見たかった」ような気がする写真が大量に出てきて、すこしばかり感傷に浸ったりもした。(ふかいところに潜り込んでしまうといけないので、ほんの数秒「ここにあったんだ」と確認するだけに留めた)

他には熱心に通っていた芝居のチラシやイベントのフライヤーが多数。きちんと整理すれば立派な資料になりそう。
そして最後の一段、いくつものレコード屋の袋がしまわれていて、そのなかには、かつてぼくが作っていたフリー・ペイパーがきちんと保存されていた。
日付を見ると1994年だった。
当時ぼくはPied PiPer Projectという活動を始めていた。ちょうど大学を卒業する頃で、理由あって千葉と宇都宮の往復生活をしていた。
なんのきっかけだったかは、まったく思い出せないのだけれどTMさんという女性と知り合った。
といっても彼女は宇都宮で、まだぼくは週のほとんどを千葉の何もない引っ越しの済んだ3DKのアパートで過ごしていた。
このころの話も面白いのでいつか書きたいと思うが、ここでは割愛させてもらう。
コンポとFAXと寝袋だけの部屋で、毎日古本屋へ通いぼくは無駄に荷物を増やしながら生活をしていた。
そのTMさんとは一面識もなく、ただ電話で話しただけだった。けれど毎晩のようにFAXでやりとりをしながら−−カッコ良く云えば−−お互いのヴィジョンを交わし合い、とにかくなにかおもしろいことがしたい、そんな話ばかりしていた。
さすがにそのころのFAXは残っていないし、あっても感熱紙だから読めないだろうけれど、いわばその後始まるPied PiPer Projectの企画書を築いていたんだと思う。
既に彼女は宇都宮で"HEAVEN"というフリー・ペイパーを発行しており、それなりの支持を受けていたようだった。後の日記でわかることなのだが、一度も会ったこともなく千葉と宇都宮でべつべつの生活を営んでいたぼくと彼女は数ヶ月後に共同でイベントを開催することを計画していた。
とにかく「はやく帰ってきなさいよ」と、しきりに彼女は云っていた。