辞めた方が働き続けるよりお金になるような矛盾したスパイラル構造に呆れ返る。


いまの仕事を辞めないことには次の仕事が始められないので意を決した。ちょうどその日、翌月(4月度)のスケジュールが出た。シフト表を見て驚いた。希望していない日まで休みになっている。というより異様に休みが多い。しかも出勤日さえ4時間勤務(!)なんてものまである。
店長曰く、予算割れが続いている。期待できる新作が皆無。労働時間を短縮して補填せざるを得ない。売り上げが伸び始めれば月半ばで修正する。


かつて「窓際族」という言葉があった。会社にとって必要のない人材を仕事のない部署に追いやる。来る日も来る日もただ勤務時間を無為に過ごすだけの連続に、いつしか音を上げ自ら辞表を書く。解雇したわけではないので雇用する側の責任は問われない。漫画だったか映画だったか、さらにエスカレートして窓もないような狭い密室に閉じこめて精神的に追い詰めるという場面を見たことがある。
それでも正社員として雇われていれば、出勤しているだけで賃金は発生する。それこそバブルの頃は「お金を払ってでも」余剰員を切り捨てたかったわけだ。
もちろん、いまそのような余裕のある企業はすくない。加えて非正社員が増えている時代だ。云うまでもなくぼくも時間給で働く身なので仕事がなければお金にならない。


いまの職場で働き始めてすぐに当時の店長が、やはり芳しくなかった売り上げを理由に人件費削減を云い出した。具体的にはアルバイトは月120時間以内に抑えること。
話は前後するが、数ヶ月まえ現在の店長が今後評価制度が導入され時給が1000円以上に上がる可能性があると話していた。勤務時間が短縮されてしまえば総額が増えることはないのだが、目先のアメで誤魔化して現実的に振り下ろされるムチの痛みから目を逸らせようという魂胆だったのだろう。はっきりとそれは本末転倒だと訴え、そもそもぼくは金額云々に関してはほとんど興味がないことを伝えた。そもそもぼくは、この「評価制度」というものには懐疑的だ。


それはともかく月120時間では、時給が2000円にでもならないと(ぼくが考える)至極あたりまえの金額には到底達しない。
話を本題に戻すと、提示されたスケジュールでは驚くことにぼくの勤務時間は60時間程度だった。それでは家賃を払ったりすれば一瞬にして消える。これは飽くまでぼくが考える「常識の範囲」だが、高校生のアルバイトじゃあるまいし、そんな賃金でひとを働かせようというのは相当に無神経か主従関係を明らかに偏重した考えが根本にあるのではないだろうか。


新しい仕事に就くためになるべく早く辞めたい旨を伝え了承された。月末ではなく15日までで辞めることができた。単純に考えれば収入は減るのが当然だが、いつのまにか与えられていた有給休暇(さすがにこの辺は法令を遵守している)を消化することで、今月は約100時間程度の勤務時間になった。
結果的に働き続けるよりも辞めた方がお金になるという皮肉な結末となった。


ところが苦難はまだ始まったばかりだった。