わかっていても自分自身で追い込んでしまう。

abcd2005blog2006-05-01


とにかく些細なことでも自分でルールを決めてしまいがちなところがあって、たとえばテレビのチャンネルを変えるときリモコンの「1」とか「4」といったボタンは押さず、必ず「+/ー」を使う。しかも常に「ー」で。だからフジテレビ(8)を見ていて、テレビ朝日(10)に変えるときなどエライ遠回りだったりする。
さいきんは気にならなくなったが一時期は靴や靴下を左右どちらから履くかとか、階段をどちらの足から上り始めるかなど細かいルールがたくさんあった。
おそらくこういうことから神経症に陥って、人間は病んでいくのだろう。


とくにぼくは「してはいけない」と禁じるルールが圧倒的に多いのだが、そのなかですこしまえに解禁したことがふたつあった。
ひとつはインターネットで、もうひとつはクスリである。
期間は共に今年の元旦から3月31日まで。
前者ではメールのチェックも一切行わず、コンピュータを起動するのはCDやDVDを焼くときのみに限った。ここを始めとする各ブログが行使されずに放置されていたのは、そのためである。
後者はリタリンはもちろん睡眠導入剤すら服用しなかった。


そして解禁日である4月1日が訪れた。
たしかインターネットは使わなかったと思う。エイプリルフールだし、よっぽどご無沙汰しているひとたちにメールでも送ろうかと思ったが、なにもしなかった。
しかしクスリには手が伸びた。もちろんリタリンに。テーブルの隅に追いやられていた薬瓶、ピルケース、乳鉢、手鏡やストローなどの一式。そう、云うまでもなくスニッフィングでなくては始まらない。


じつはこれを書いているのは、しばらく経ってからなのだが、ほぼ毎日欠かすことなくスニッフィングは続いている。しかも昨年までとは比べもないほどの量を。
そんな依存症の日々に触れるまえに、そのきっかけとなった日のことを書いていこうと思って振り返ってみた。