capsuleにとってリミクスは


しばしばcapsulePizzicato Fiveと比較される。
たしかに似ている。男性プロデューサーと、女性ヴォーカルという構成。初期の作品や唄モノのメロディ・ラインや、和を意識したアレンジなど音楽面でも良い意味で影響を感じさせられる。
ただ耳障りというか、聴き心地はまったく異なる。


capsule中田ヤスタカ)と、Pizzicato Five小西康陽)とのおおきな違いは曲作り、とくに楽曲制作における自らの立ち位置と、機材(楽器)の使い方にある。
中田ヤスタカは、ほとんどひとりで楽曲制作を行っている。コラボレーションはほとんど行わず、せいぜいヴォーカルをフューチャーする程度だ。それらをコンピュータを駆使して仕上げている。
一方小西康陽は、作・編曲(アレンジおよびプロデュース)は行うが、楽曲に応じてバンドを組むが如くドラムスやパーカッションからギター、ヴォーカルを集める。ときにはストリングスやホーン・セクションを迎えることもあり、それぞれアレンジャーを立てることもある。
そう、中田ヤスタカはほぼすべてコンピュータに頼って音楽制作をしているが、小西康陽もコンピュータは駆使しつつも、根本には生演奏という下地が備わっている。ふたりともスタートは自宅録音(宅録)だが、中田ヤスタカが主にひとりでコンピュータと格闘していた(戯れていた?)のに対し、小西康陽は仲間とセッションを繰り返していた。
もちろんこれには時代や環境、とくにハード、ソフト両面でのテクノロジーの急激な進歩があることは云うまでもない。
好みの問題もあるだろうが、たとえばiPodiTunesで聴くにはcapsuleサウンドは心地良い。同じヘッドフォンで聴くとしても低音の響くアンプを通した方がPizzicato Fiveには向いている。あるいは大音量でオトを浴びるような場合でも、capsuleはクラブなどのフロアできもちがいいし、Pizzicato Fiveは大バコのライヴで爽快だ。DJを行うというふたりの共通点もあるのだが、capsuleにはあまりライヴのイメージが湧かないが、Pizzicato Fiveには意外にもライヴ・バンドとしての印象が残る。

念のため断っておくが、どちらが良いというわけではない。
本題に沿うように話をシフトしていくと、capsuleはフロア向きであり、そのエレクトロ感に特徴がある。
いろいろな方法があるが、リミクスというのはいまやコンピュータ主体で作られている。生楽器・生演奏と書いた小西康陽も、リミキサーとしてはサンプリングを含めてコンピュータ主導で行っている。
つまりcapsuleサウンドは、至極リミクス向きであり、さらに云えばリミクスで魅力が何倍にも増幅する可能性を秘めているのである。
またcapsuleはアルバム毎に、そのときそのときの中田ヤスタカの興味のベクトルによっておおきくサウンドを変化させている。おそらく次から次へと新しいアイディアが浮かび、すぐにでも試してみたくなってしまうのだろう。

capsule rmx

capsule rmx

その意味で、この『capsule rmx』は正しい選択であり、リミクスというよりはリメイクやリ・アレンジあるいはリ・コンストラクションと呼んでも良いのかも知れない。おそらく中田ヤスタカは、過去の自分のサウンドさえも古臭く感じてしまうのだろう。彼にとって「いま」のオトで、数々の楽曲を表現したかったのかも知れない。(選ばれたのが最近の作品ばかりなのもそのせいなのだろう)
個人的には初期のシングル「東京喫茶」や「music contoller」なども聴きたかったが、近いうちにベスト盤なりシングル・コレクションを聴かせてくれるのだろう。(なにしろ12月に発売予定のアルバムで早くも10枚目になるわけだから!)
そして、そのときもきっと中田ヤスタカは最新型のcapsuleサウンドに生まれ変わらせることだろう。
当時のヴァージョンのままや、カップリングなどを集めた音源集も聴きたいけれどね。

試聴は、こちらがGOOD。


渋谷慶一[音楽批評家]